りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

父のいない時間

父と一緒に帰った後のことが

2年経った今、あまり思い出せない。

くたくたに疲れてる。

何もできなくて、

弟に卵焼きを作ってもらいそれでご飯を食べた。

弟から、ご飯作ってもらうなんてかなり久しぶりと言うか初めて?だった。

 

息子は、金曜に大切なことがあり、

今まで頑張ってきたから参加させたい。

母や弟と相談して1日葬儀を延期して土曜日に通夜、日曜日に葬儀にできないか

確認した

それまで息子には亡くなったことを伝えるのを待ってもらった。

 

父が亡くなった次の日の自分の行動を今も後悔している。

朝、早くに目が覚めてリビングに行くと

早起きの母がもう起きていた。

11月12日

少し寒かった。

二人で床に座ってぼーっとしてた。

母は、趣味の編み物をしてたかと思う。

 

 

母に

寂しい?

って声をかけると

本当に。

と言った。

 

わたしすごく寂しい。

泣きそう

と伝えると

編み物の手を止めて

こちらをみて

おいで

と両手を広げて

抱きしめるようなジェスチャーをしてくれたのだ。

 

43のわたし。

素直に甘えられなくて

 

いいと

顔を横に振って断り

おいおい泣き出した。

母も、泣いていたと思う。

 

 

どうして私、抱きしめてもらわなかったんだろう。

今も後悔してる。

甘えてさせてくれて

慰めてくれる存在がいるのに。

なんで素直に行かなかったんだろ。

 

今考えても

後悔する。

 

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父が亡くなりました⑧

病院で働くと人の死の場面に向き合うことになります。

お迎えが近い人に心電図モニターを装着することがあり、ナースステーションでそのモニターを見られるようにしていました。

徐脈になっていってスタッフがモニターに気付きお迎えが近くなっていることに気づき、担当者が対応している時間の雰囲気はなんとも言い難い。

 

ただ、父は人工心肺を使用していたので父の心臓が止まりそうになると強制的に補助してくれるように動き出す音が聞こえるのですが、

それがなかなか聞いていてしんどい時間でした。

 

亡くなった後、

父の清拭や更衣を

家族にも手伝わせてもらいました。

 

あんなに、弟と父は仲が悪かったのですが、

看護師として働いていた弟はバリバリに更衣させ、髭を剃り、顔の表情を整えて

くれました。

3人で見送ることができました。

 

こういう時ってなんだか余裕がなくて人に優しくできないんですよね。

疲れてる、

亡くなった喪失感、

これからの葬儀のこと

やらなくてはいけないこと

連絡をしなくてはいけない人

頭がかたや、回転しているのに

こっちでは、気が乗らない

やりたくない、

亡くなったことを受け入れたくない

 

頭がごちゃごちゃしてて

母に当たり散らしました。

 

母が、看護師さんが手術前に教えてくれた父とのエピソードに大変驚き

何度も何度も言うんです。

多分母もテンパって言ってるのに。

 

もう、うるさい!ってなって

優しくできず怒ってしまったり。

終始イライラしている自分がいました。

 

今考えても嫌なやつです。

あと、

11月1日に倒れて11日に亡くなったのですが

 

あんなに一番が好きだったからここでもこだわったねーって

何度も言う母。

うるさい!って感じで

そうだねーって大きな心で聞いてあげられなかった。

ほんと後悔です。

 

遺体を搬送する車に乗せてもらい私も父と家に帰りました。

母と弟は車で帰ってもらいました。

帰っている最中、

父の兄弟や親戚に電話をかけ亡くなったことを伝えました。

 

午前中に電話をもらい、帰る頃はもう夜になっていました。

真っ暗な中、今日一日のことを振り返り父の棺を右手に一緒に自宅に帰りました。

 

 

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父が亡くなりました⑦

11月4日に手術をしないという選択をして

父は11月11日に亡くなりました。

 

4日の夜遅くになったが

仕事の調整を付けて弟が帰省しました。

私の一人息子に父と会わせたいと思い

短い時間でしたが2日ほど帰省してもらいました。

 

面会をお願いしましたが、県外者であり、孫という関係性なので会うことはできませんでした。

 

きっと無理だろうとは思いましたが、調整をつけてくださる施設なのでお願いしてみたけどダメでした。

私たちの

面会時間も30分以下とかなり短かったですが

ああいったコロナの状況下でよく許してくださったと今も思います。

実家から病院まで高速で1時間程度でしたが、

毎日通うのも疲れます。

かえって食べるものと言えば料理する気にもなれず、

お惣菜や卵焼きなどを食べていました。

元気で脂肪の貯えもある私でも疲労を感じます。

母はもっとだったと思います。

3人ともあまり余裕がなく

なにかあるとすぐに衝突するような状況でした。

11日に病院から電話があり朝方から徐脈になりつつあります

とのことでした。

父の人工心肺はよく頑張てくれて30くらいに脈拍が落ちるとあわてて動かしてくれる

そんな状況でした。

父の心臓が止まるのを待っている数時間はとてもつらかったです。

 

あの人工心肺の音を聞くと

きっと父の心臓はもう止まっていて、無理やり機械で動かしているんだろうな

父の魂は今どこにいるんだろう。

同時に面会できるのは2人までで。

1人、外で待機です。

母にはずっと付き添ってほしかったのですが、

煙草を吸いに行きたい。

水筒を車に忘れた

など結構外に出ようとするのです。

そばにいるのが耐えられなかったのか、体力的につらかったのかわかりませんが。

 

夕方になり夜勤の看護師が出勤してきました。

 

 

父が救急搬送され入院し、翌日緊急の再手術の前に担当した看護師さんでした。

私たちにその時のエピソードを教えてくれました。

 

夜間、次の日の手術が心配だったのかあまり眠れなかった父は多弁だったようです。

私には若い看護師さんにそんなに話しかけるなんて信じられませんでした。

 

恥ずかしがり屋で人見知り?もあって、若い人にはなかなか自分からは話しかけられる父ではありませんでした。

しらふだと娘の私にもあまり会話せずって人だったので。

そんな父が

体がだるくてしょうがなかった。

風邪だと思って寝てたのにまさかの心筋梗塞だとは思ってなくてびっくりしたこと

はやく病気を治して、家に帰らなければいけないこと。

妻が今年の1月にがんがみつかり治らないといわれたこと。

だから、自分は妻を支えなければいけないこと

去年1年脳梗塞で入院していたが、その間、妻に負担をかなりかけてしまってそのせいで癌になってしまったのではないかと思っていること

去年の入院でも感じたが看護師の仕事はすごい仕事だと思っていること、

子供が2人ともそのような仕事に就いてよくやっているなと思っていること

 

など会話をしていたそうです。

その話を聞いて私も母も泣いてしまいました。

母を看取るのが嫌で、残される自分の生活が嫌で

逝き急いだのではないか

そう思ってしまっていたけど

治そうと思っていたこと。

帰って母の面倒を見なければと自分を奮い立たせていたことがわかりました。

この看護師さんと話す機会を作ってくれたことに

なんだか感謝しました。

父がこの看護師さんにあわせてくれるまで生きるのを頑張ってくれたような気がしました。

 

父が亡くなりました⑥命の選択

その周りが少しざわついた様子を母は感じ取って

医師に

やっぱり手術したほうがいいと思いますか?

と質問しました。

 

若いけど、穏やかな口調でその医師は

 

とても難しいですね。

自分の親だったらやはり一番に介護するひとの意見が大切ですし母親の意見を優先させると思います。

 

そういってくださった後、

母が

先ほどのボートの話など

父とどのような死生観をもっていたかをはなしているのも静かに聞いてくれました。

 

そして、

いま、出血した血液の中で心臓の動きが悪くなっている状況なので

人工心肺を使用して強制的にうごかしていても長くて2週間程度しか動かせないので

この状況だともっと短くなるだろうと伝えてくれました。

状況が変わり次第できるだけ電話していくが、間に合わないこともあること。

毎日の面会は可能だがコロナ渦の状況なので面会時間は短いものになること教えてくれた。

短い言葉で混乱している家族に端的に伝えてくれる医師だった。

 

帰り道、母は何度も自分に言い聞かせるように

この決断で間違ってないとおもうと

心臓がたとえよくなって

家に帰ることができても

右側が動かなくておむつ交換や介護される自分が許せないだろう

そんな状態はかわいそうだ。

プライドの高いお父さんにそんな思いはさせたくないんだ

 

母は、父を思って、苦しい結論を出した。

 

 

私が近くに居れば介護も手伝えたとは思うが

娘におむつ交換されるなんてプライドが高い

父には耐えられないだろう

 

母のがんが見つかってから

お酒の量が増える父に何度も説教をした。

お母さんを支えなきゃいけないのに

先に逝くつもりじゃないよね?

脅しのように言った私のひどい言葉に

父はにんまり笑った。

なんで笑うの?

父は母を看取るのがつらすぎたのかもしれない

母が死んだあと、一人で過ごすのが耐えられなくて急いだのかもしれない

せっかちな父だ

きっとそうなのだ。

 

 

私も母の考えは痛いほどわかった。

 

そうやって納得して納得させてだした結論なのに

 

亡くなっても時々思い出す。

あの時、手術していたら父は生きていたかもしれない。

 

 

たとえ脳梗塞で半身が動かなくても介護に限界を感じて施設へ預けるようなことになってしまっても

認知症のように言葉が伝わらなくても

生きている父に会いたい。

父と話したい。

父に感謝を伝えたい。

この結論でよかったのか。

 

亡くなった今でも本当に良かったのか。

父の死期を早めてしまった。

 

 

 

 

 

元気のいいときは、自分の死にざまなんて家族と話す機会なんて持たないと思う

でも元気のいいときの判断を

家族は把握しておいたほうがいい。

こうやって把握していても後悔するんだから。

 

 

父が亡くなりました⑤命の選択

私の弟は実家に寄り付きません。

世間的にいうとダメ男なんです。

からしたら期待に添わない長男だったのだと思います。

尾崎豊の15の夜

みたいな

今だったら

息子に笑って話しちゃう

そんないろいろ

いろいろ

いろいろ

いろいろあり、

隣の県の療養型病院で看護師として勤めています。

父の病気が見つかってから

連絡してもコロナを理由に帰ろうとしない弟。

イラついてしまうけど父と母と弟の関係はこじれてしまっているので

わからない部分もないわけではない。

 

 

そんな弟に連絡しました。

携帯はつながらず職場だと聞いている病院をネットで調べてそこへ電話を掛けました。

かけながら、

どうしよう、職員じゃない、そんな人いないと言われたら

と心配。

そういう状況なのです。

 

名前を伝え、

今日勤務なら電話をつなげてほしいとお願いした時に

弟の名前を わかっているように電話口の方が返答した時は

ホッとしました。

 

よかった、勤めている。

何度も言いますがそういう状況なのです

 

電話越しの弟に勤務中に申し訳ないと伝え、

状況を伝えました。

弟は

可能性があるなら手術してほしい。

そういいました。

すると、母が声を少し荒げて

 

手術?

する?治らないかもしれないのに?

私が元気だったら、介護するよ?頑張って元気にさせるよ!

でも、お父さんが元気になるころに私、死んでるかもしれん。

脳梗塞になってるっていわれたんだよ。右が全然動かないって

手も足も動けなくなってつらい思いをさせながら生かしておくことも残酷だとは思わないのか!

 

そういいました。

 

その様子から弟は

 

子供としては可能性にかけたいけど

母ちゃんの考えを優先すべきやろうし

と言ってくれ選択権を母にゆだねる形となりました。

そして、仕事を調整し帰省するとのことでした。

 

電話を切ってからも

母は、

父がピンピンコロリで死にたいと話していたことや

長生きしなくていいから好きな酒を飲ましてほしいと言ってたこと

父は船にかかわる仕事に就いていたのですが

以前、酔っぱらって、自分が不治の病にかかっていたら

小さなボートを買って片道の燃料だけ積んで近くの海からまっすぐ太平洋にボートを走らせ燃料切れになったら海の上で死にたいと話していたことなどを

教えてくれました。

 

2020年の1年間。脳梗塞で長期入院した時に

リハビリを頑張っていたけど

もうこれ以上頑張らせたくない

そうも言いました。

そして、

 

 

医師に手術は望まないと伝えました。

私たちの話し合いの結果を待っていたと思われるスタッフの方が少しざわついていたのと、医師がすこし、驚いた様子から

緊急手術になることを想定して動いてくださっていたことはわかりました。

手術をしないとする選択をすぬ家族は少ないんだと改めて感じるようなざわめきを感じました。

 

 

 

 

 

父が亡くなりました④ 命の選択

2021年11月4日

朝早く 病院から連絡がありました。

 

今日は来られますか?来られたら先生がお話がしたいそうです

 

 

あとからわかったことですが。

 

決して、

当たり前ですが父の病状が安定していたわけではなく、

病院側はできれば毎日面会をしてほしかったようですが、

家から病院までの距離が遠く母が一人でいることや足がないとの情報から

いつ来れるのか確認していたのを、母は、毎日来なくてよいと判断していたようでした。

コロナのこともあり県外者の私がいることも

そう考える要因になってしまったように思います。

 

慌てて父の車で病院に向かいました。

 

PCRの結果がまだ出ていなかったので

私は駐車場で待機し母に面会が可能か問い合わせてもらいました。

看護師長が駐車場までわざわざ来られて

コロナのワクチン接種をしているか確認されました。

 

していることを伝えると

本当は接種証明書を提示して欲しいところだが

同じ医療者なので信用します

とのことで面会が可能になりました。

 

父はICUにおり

人工呼吸器、人工心肺、たくさんの点滴チューブを付けられ寝かされていました。

 

家では、大きい声で咳払いして、

どしどしと音を立てて階段を駆け下りるし、

寝ていても寝言もしゃべっているような感じで

何度もベッドから落ちて床が落ちるのではないかと思うほどの

音を立てる

寝ててもうるさい父が

静かに身動き一つせず音も立たず寝かされていました。

 

こういう状況かもしれないと思っていたけど、

想像より現実はかなりつらく涙が溢れ出ました。

 

医師に面談室に呼ばれ

手術後、一旦は意識も回復し、うなづいたりできていたこと。

昨日あたりから体の右側の反応が全くなく、脳梗塞が起きていると予想されること

心臓の動きが悪く調べると、心臓のどこからか出血しているようで

溢れた血液の中で心臓が浸かっている状態で動きが悪くなっており

出血がどこからしているのか、そして、その穴をふさぐ手術を緊急にしたいこと

が説明されました。

 

母は

心臓が豆腐みたいな状況だと以前言っていたが、

それでも手術はできるのか

出血を止めたら治るのか

脳梗塞は絶対なのか

など一つ一つ詰めて質問しており

こんな状況で冷静に質問している母をみて

私も冷静にならないと‼️

 

と気を引き締めたのを覚えています。

先生は

今回の手術は出血の場所を確認してその穴をふさぐだけの手術です。

この手術に成功しても、また出血するリスクはある

一旦、意識も回復して、今日あたりから人工心肺など機械を徐々に外そうと思っていたのでこちらも驚いている。

脳梗塞は起きている。

 

静かに一つ一つの質問をしてくれました。

今もう手術室は押さえていて

ご家族の同意が得られたらすぐに手術を始めます

とのことだった。

 

すぐに決められる話じゃない。でも時間的な余裕もない

 

私は先生に言いました

 

30分だけ時間をいただけないでしょうか?

隣の県にいる長男にも電話で

相談したい。

 

先生はきっと急いで手術できるよう段取りを組んでいただろうに

わかりました

と一旦面談室から出て行ってくれました。

担当の先生は本当に真摯に向き合ってくれました

 

 

 

父が亡くなりました③

帰省する当日の朝をよく覚えている。

朝早い飛行機だったので、かなり早い時間に起きて準備した。

夜もあんまり眠れなかった。

 

 

外はまだ真っ暗な中、荷物の整理をしていると、

うちのわんちゃんが、私のそばをうろうろしていた。

頭をさすりながら

今度いつここに帰ってくるんだろう。

ここでの日常はいつから始まるんだろう。

ここに今度帰った時は、父が死んだ後かもしれない。

悶々と1人で考えながら荷物の整理をしていた。

 

荷物をリュックに入れて、最寄り駅まで歩いて行った。

家族は2人とも寝ていて

送り出しはなかった。

真っ暗だった。

 

ああ言う時って涙なんて出ない。

淡々と進めていく。

頭はかなり状況的に厳しいことを

クリアにわかっているのに。

 

地元の空港でPCR検査を受ける。

早くても明日メールで結果が出るとのこと。

10時過ぎに実家に着いた。

実家は変わらず庭には父の車と母の車があり

外から

茶の間に母が座っているのが見えた。

また痩せたな

そう思った。

大変だったね

そう声をかける。

病院にはいついくの?

先生が4日に来れますかって言ってたから来れるって言ったよ。

明日行こう。今日は祝日だから面会ダメなのかな?

今日は調子がいいから

パチンコ行かない?

えっ?大丈夫なの?

コロナだよ?

県外者の私を拒否るのに

パチンコオッケー?

もうさ、心配したってしょうがないんだよ。

病院から連絡ないってことは落ち着いてるんだよ。

 

 

今後、

母とパチンコの関係もここでお知らせできたらいいかなと思っているが

 

母はパチンコに逃げるところがある。

 

今一番辛い状況は、母だ。

その日、私は母とパチンコに付き合った。

パチンコ台に向き合いながら

ひょっとして、予定通り息子のところにに帰れるかもしれないな

と思ったりしたのだ。

 

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