りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

親の目。冷静にどこまで見れるのか。

担任の先生との二者面談があった時、。

 

うちの子は、

勉強はそこそこできる。塾に行っていないけど。

そこそこというのは

教科書の、内容はできるというくらい。

 

運動もそこそこできる。

そこそこというのは

学校で上位にいるくらい。

 

先生からも同様のことを言われた。

そして、私の思っている事と同様のことも。

どうしても頑張って一番を取りたい!とか

これは誰にも負けたくないというようなハングリー精神がない。

 

 

私は、それで十分かな?とも思う。

 

もちろんサッカーしてるなら⚽️試合には勝って欲しいし。

テストで100点はとってほしい。

親の欲は天井知らず。でも、親のプレッシャーで好きなこと、楽しいことをいやにはなってもほしくない。

どうしても親は子供の不足している点ばかりに目が行ってしまう。

他のおかあさんに

うちの息子はいい子だと褒められてうれしいのに。それを子供にすごいと褒めてあげられない。

褒められたことは、

それはあたりまえ。満足しない。まだまだ足りない。そう思ってしまう。

 

子供に以前、

僕がいい点数を取ってきてもままは褒めないよね。

持久走で頑張っていてもなにも買ってくれないよね。

と言われました。

 

私は褒めているつもりでいたけど、満足していなかった感じが子供に伝わってしまったのではないかと思います。

 

でも、今の子達って褒められて育てられているから

だからこそ、褒められないとしない、みたいなものもあるきがするんだよなー。

 

 

地区のサッカーの選考会があった。

 

その時の話。

 

うちの子はチームでは主力選手だけど、同学年の他のチームの選手と比べてずば抜けているかと言えばそうではない。

 

選考会に対する不平不満を散々ブツブツと湧き出ます。

しまいには選考会の在り方まで不満が噴出。

どこのチームを贔屓するとか、選考するにあたっての項目とか。

選考会を行っているコーチ軍への不満も。

もちろんコーチたちの選考に対しては

納得の得られるものではないような気もきます。

 

でも、ずば抜けてうまかったら贔屓されてても選ばれるし。

 どんぐりの背比べだから

コーチの自分のチームの選手への贔屓が活かされてるわけ。

 

 

ホント、冷静に見る目が問われます。

 

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