りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

先輩が教えてくれたこと。。看取りについて。

働き始めて初めてがん患者さんが亡くなるのを経験した。

高齢のおじいさんだった。肺がんだった。

最期、呼吸が苦しくって寝ていられなくてモルヒネの量が中々足りなくて、やっと楽になった時は意識が低下した時だった。

 

初めてみた遺体は、魂がもう居なくなっているのがわかった。

その時、初めて、人の体は容れ物なんだと認識した。

エンゼルケアという、遺体を綺麗にして行く処置を行った。

一緒にケアに入った先輩看護師の遺体の扱いがとても丁寧だった。

空っぽの容器に感じたご遺体に

語りかける。

つらかったね。

がんばったね。

 

ポロポロ涙が止まらなかった。

 

「初めてだったから、しんどかったね」

 

先輩があまりに泣く私を優しく声かけてくれた。

 

そのあと、せっかく信頼関係が築けたと思った患者さんが亡くなるのが辛かった。

何のために仕事してるか、わからないような虚しさが出てきた。

 

こうやって看取って行くと麻痺して慣れるのかもしれない。

人の死に慣れるのは怖い。

慣れたくない。

仕事の虚しさと相まって、どんどんその想いが強くなる。

辞めて実家に帰った方がいいのではないか?

 

その先輩に、夜勤の最中に二人っきりになった時、相談できる時間があった。

人の死に慣れることが怖いと相談した。

 

 

先輩は、私の話を聞きながら言葉少なに話してくれた。

 

「患者さんが、看護師に傷口を見せてくれたり

オムツ交換させてくれるのはどうしてだと思う?

 

看護師だからだよ。

赤の他人に自分のことや辛さをすぐに話すのも看護師だからだと思ってるよ。

 

孫ほども年の離れてる私たちに弱いところを見せられるのは、友達とか知り合いだからじゃないよ。

看護師として私たちを見てるからだよ。

 

私は、患者さんの死に立ち合わせてもらえるのは看護師という仕事だからだと思ってる。

家族だって立ち会うことができないこともある場面に立ち会えるんだよ。

尊い仕事だよね。」

 

 

こんな内容だったと思う。

 

看護学生から看護師になりきれていなかった。プロとしての仕事ができていなかった。

看護師として、自分の仕事にプライドを持とうと気合が入ったのを覚えてる。

 

オムツ交換など、おシモの世話をする時は気持ちが重いことがあった。

「してあげている」ではなく「させていただいている」

 

そう思うと、尊い

自分を卑下するわけではなくプライドを持って。

 

あの先輩に出会えたこと感謝だ。

人の死に立ち合わせて頂きたい。

 

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