りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

父が亡くなりました⑥命の選択

その周りが少しざわついた様子を母は感じ取って

医師に

やっぱり手術したほうがいいと思いますか?

と質問しました。

 

若いけど、穏やかな口調でその医師は

 

とても難しいですね。

自分の親だったらやはり一番に介護するひとの意見が大切ですし母親の意見を優先させると思います。

 

そういってくださった後、

母が

先ほどのボートの話など

父とどのような死生観をもっていたかをはなしているのも静かに聞いてくれました。

 

そして、

いま、出血した血液の中で心臓の動きが悪くなっている状況なので

人工心肺を使用して強制的にうごかしていても長くて2週間程度しか動かせないので

この状況だともっと短くなるだろうと伝えてくれました。

状況が変わり次第できるだけ電話していくが、間に合わないこともあること。

毎日の面会は可能だがコロナ渦の状況なので面会時間は短いものになること教えてくれた。

短い言葉で混乱している家族に端的に伝えてくれる医師だった。

 

帰り道、母は何度も自分に言い聞かせるように

この決断で間違ってないとおもうと

心臓がたとえよくなって

家に帰ることができても

右側が動かなくておむつ交換や介護される自分が許せないだろう

そんな状態はかわいそうだ。

プライドの高いお父さんにそんな思いはさせたくないんだ

 

母は、父を思って、苦しい結論を出した。

 

 

私が近くに居れば介護も手伝えたとは思うが

娘におむつ交換されるなんてプライドが高い

父には耐えられないだろう

 

母のがんが見つかってから

お酒の量が増える父に何度も説教をした。

お母さんを支えなきゃいけないのに

先に逝くつもりじゃないよね?

脅しのように言った私のひどい言葉に

父はにんまり笑った。

なんで笑うの?

父は母を看取るのがつらすぎたのかもしれない

母が死んだあと、一人で過ごすのが耐えられなくて急いだのかもしれない

せっかちな父だ

きっとそうなのだ。

 

 

私も母の考えは痛いほどわかった。

 

そうやって納得して納得させてだした結論なのに

 

亡くなっても時々思い出す。

あの時、手術していたら父は生きていたかもしれない。

 

 

たとえ脳梗塞で半身が動かなくても介護に限界を感じて施設へ預けるようなことになってしまっても

認知症のように言葉が伝わらなくても

生きている父に会いたい。

父と話したい。

父に感謝を伝えたい。

この結論でよかったのか。

 

亡くなった今でも本当に良かったのか。

父の死期を早めてしまった。

 

 

 

 

 

元気のいいときは、自分の死にざまなんて家族と話す機会なんて持たないと思う

でも元気のいいときの判断を

家族は把握しておいたほうがいい。

こうやって把握していても後悔するんだから。