りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

父が亡くなりました⑤命の選択

私の弟は実家に寄り付きません。

世間的にいうとダメ男なんです。

からしたら期待に添わない長男だったのだと思います。

尾崎豊の15の夜

みたいな

今だったら

息子に笑って話しちゃう

そんないろいろ

いろいろ

いろいろ

いろいろあり、

隣の県の療養型病院で看護師として勤めています。

父の病気が見つかってから

連絡してもコロナを理由に帰ろうとしない弟。

イラついてしまうけど父と母と弟の関係はこじれてしまっているので

わからない部分もないわけではない。

 

 

そんな弟に連絡しました。

携帯はつながらず職場だと聞いている病院をネットで調べてそこへ電話を掛けました。

かけながら、

どうしよう、職員じゃない、そんな人いないと言われたら

と心配。

そういう状況なのです。

 

名前を伝え、

今日勤務なら電話をつなげてほしいとお願いした時に

弟の名前を わかっているように電話口の方が返答した時は

ホッとしました。

 

よかった、勤めている。

何度も言いますがそういう状況なのです

 

電話越しの弟に勤務中に申し訳ないと伝え、

状況を伝えました。

弟は

可能性があるなら手術してほしい。

そういいました。

すると、母が声を少し荒げて

 

手術?

する?治らないかもしれないのに?

私が元気だったら、介護するよ?頑張って元気にさせるよ!

でも、お父さんが元気になるころに私、死んでるかもしれん。

脳梗塞になってるっていわれたんだよ。右が全然動かないって

手も足も動けなくなってつらい思いをさせながら生かしておくことも残酷だとは思わないのか!

 

そういいました。

 

その様子から弟は

 

子供としては可能性にかけたいけど

母ちゃんの考えを優先すべきやろうし

と言ってくれ選択権を母にゆだねる形となりました。

そして、仕事を調整し帰省するとのことでした。

 

電話を切ってからも

母は、

父がピンピンコロリで死にたいと話していたことや

長生きしなくていいから好きな酒を飲ましてほしいと言ってたこと

父は船にかかわる仕事に就いていたのですが

以前、酔っぱらって、自分が不治の病にかかっていたら

小さなボートを買って片道の燃料だけ積んで近くの海からまっすぐ太平洋にボートを走らせ燃料切れになったら海の上で死にたいと話していたことなどを

教えてくれました。

 

2020年の1年間。脳梗塞で長期入院した時に

リハビリを頑張っていたけど

もうこれ以上頑張らせたくない

そうも言いました。

そして、

 

 

医師に手術は望まないと伝えました。

私たちの話し合いの結果を待っていたと思われるスタッフの方が少しざわついていたのと、医師がすこし、驚いた様子から

緊急手術になることを想定して動いてくださっていたことはわかりました。

手術をしないとする選択をすぬ家族は少ないんだと改めて感じるようなざわめきを感じました。