りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

燃え尽きる1

私が初めて就職した時の仲の良かった同期とは今も会うように努力してます。

離れて暮らしていて、お互い家庭を持ったのでなかなか難しいですが。

 

 

 

初めて就職した病院は、全国から就職して来てました。一つの病棟に看護師20名前後が配置されてましたが、

離職者が多く、私の配属された病棟は5名も新人が入りました。

4月5月は、連日の23時位まで働いてました。

帰れないのです。

先輩方も新人を指導しながらの業務なので帰れないのです。

 

それなのに良く色々丁寧に教えてくれた先輩方でした。

そして、看護に熱かった。

心があったように思います。

 

5人の同期のうち2人はあっという間に辞めてしまいました。

過酷でした。

私も何度も九州に帰る!と思ったことか!

でも、帰らず結婚するまでこの病院で働き続けられたのは、

やりがいを感じる上司や先輩がいたからだと思います。

 

 

残った3人が、今もこうやって連絡を取り合う間柄になっています。

私はがん看護をしていきたいと考え

認定看護師と言う資格を取りました。

 

もう1人は緩和ケアがしたくて、留学したりとても熱心に勉強していました。

しかし、いまは、緩和ケアで働くことを辞めてしまいました。

 

現在は、一般の病院の管理職をしています。

3人はとてもお酒が好きで、集まれば昼からビールを飲む仲です。

彼女が緩和ケアから距離を置いた理由はわかりません。

しかし、お酒の席での印象深い話がありました。

 

緩和ケアに入院する患者さんの要求をどこまでが看護でどこまでがわがままとすれば良いのかわからない。

管理職が、きちんと線引きしないからゴネた者勝ちになってしまう。

例えば、患者さんが、

どうせ死ぬんだから、テレビをタダで見せろ。

夜に風呂に入れろ。

などの要求を師長が受け入れてしまうことがある。

 

夜に入浴介助は夜勤者が2、3人で行っているためかなり無理があります。

でも、患者さんから

どうせ俺は死ぬんだから!いいだろ?

と言われるとどうしていいかわからなくなると。

 

そして

一旦その要求を聞くと、後は、

この前は良かったのになぜ今回はダメなんだ?

という要求になる。

 

そして、そんな無理難題とも思える要求をする患者さんは少なくないとのことでした。

働いていて、そんな無理難題を言う患者さんのことを

 

死んでしまえ!

って思ってしまったそう。

 

そして、そんな風に思ってしまった患者さんが、実際に亡くなると

 

自分を責めてしまう。

 

そう話していたことがあります。

 

彼女が緩和ケアと、離れた理由がそういうことが原因なのかわかりませんが。

 

最近、彼女が話していたこれらの内容をすごく思い出します。

 

私は認定看護師と言う資格を持ちがんの患者さんと接する機会は多いですが、

心は慣れでは済まないことは多くあります。

クタクタになっていたりやりきれなくなることもあります。

 

管理職がどれだけ、現場の看護師を守るか、フォローするかで

燃え尽き症候群は減らせると思います。

 

でも、管理職をされている方がそれだけの度量があるかと言えば、

 

そうではない。

 

平気で心をすり減らしている現場の看護師の心を踏みにじり、

踏みにじったことを気付かない人もいるのです。

敢えて踏みに来る管理職もいます。

 

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冬の桜の木は、枯れてしまっているように見えます。

でも、たしかに寒い中にも小さな蕾があります。