りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

人生会議

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191128-00000056-asahi-pol.view-000

 

 

いろんな点から議論を巻き起こしているこのポスター。

 

 

私は

 

人生会議

 

という言葉だけを注目してこの問題を考えました。

 

私が、がん医療に携わっている時。

 

家族も含めて人間ってなんで死ぬことをこんなに考えるのをしてこないんだろうって思っていました。

 

 

主治医から、

日本人の平均寿命を超えているから

とか

人間いつかは死ぬから

とか

死が癌ではなくてもいつかは訪れるという話をされると

 

医師の前ではなにも言わなくても、その後の面談で

 

あの医者は治す気がない!

医者の仕事は病気を治すことなのに平気で死ぬ話をして失礼だ!

 

と怒られることが度々ありました。

 

そんな人は緩和ケアというものもあまり理解できておらず

医者のくせに

どうせ治す気ないのに

治らないなら病院に来る必要ない!

 

とだいぶ怒ります。

怒りの矛先は

医師ではなくその時に面談した他のコメディカルへ行くことも多く。

対応が悪い

とクレームにもなりました。

 

90歳近い方に、癌がみつかり、医師は患者の負担を考えて積極的な治療を勧めなかったりします。

 

家族にも今後の経過の心づもりをして欲しいという思いもあり、声かけすると

 

死ぬことなんて考えたこともない。

という方が少なくないです。

 

こればっかりは、他人に促されて考えることではないと思います。

 

実際、うちは転勤族で地域に根付いていないので、

夫に

急にどちらかが死んだらどうする?

という話をしたことがあります。

葬式は?

お墓は?

 

夫は、なんでそんな話をしないといけないのか?

とまじめに話をしてくれませんでした。

 

なんども必要性を話して

 

少しずつ

お墓だけでもこうする。

という案を出しました。

 

すぐに決まる話ではないし、結論が揺らがないと行った話ではないから、

何度も何度も会話をしていてもこれでいいって話ではない。

 

この死をタブー視した社会は、

日本の歴史とリンクしていて難しいのだそうです。

 

でも、今回のこのポスターが本来の目的を果たすことができればステキだなと思った。