8時だJ同窓会を見て
三連休。
暇すぎて。年末年始に夫が撮りためていたテレビを見て過ごした。
タッキー引退にてやっていたテレビ番組を見ていた。
夫はジャニーズや俳優仲間が仲良く話しているトーク番組が結構好きである。
ニヤニヤして見ているのをよくみかける。
ちょっとだけ?私が年上だけど、彼らのと共に年を重ねてきた感じなので、すごく感慨深かった。
そのなかで
最後にタッキーと翼が歌を歌って終わるんだけど。
歌う前に少し緊張?しているタッキーの肩を後ろから軽く叩いて笑顔で送り出す生田斗真が居た。
私はちょっと前までああいうことをする人が嫌いだったし信用ならないとまで思っていた。
泣いている人をみんなの前で胸に抱きしめて慰める人や涙を拭いて笑顔で送り出すようなシーンを実生活の中で見るのと
スーッと冷めていく自分がいて、感動したり素直にその光景を受け止めることができない
腐った
人間だ。
よく、看護の場面やコミュニケーションを学ぶ場で
タッチングは相手との距離を縮めることができると言われる。
実際、仕事をしているときにその手法を私自身
がんの告知をされ落ち込んでいる患者やその家族との面談には意識して取り入れてきた。
取り入れることで、効果的だと感じることも多々あった。
ある時、診察待合室にて、多くの患者がいるときに落ち込んでいる家族の背中をさすりながら話を聞いていたことがあった。普段は、そのようなことがあった場合は、プライバシーの保てる個室へ移動したりするのだけど。
その時は色んな事情でそういうことができなかった。
その一連の様子を見ていた待合室にいた別の家族が、診察終わりに私に声をかけた。
あんな風に背中をさすられると、ホッとするのよ。なんだか、とても嬉しかった。
と。
やはり、コミュニケーションは非言語的なものの存在は大きいのだと改めて感じた。
感じてはいたものの、自分も意識的に取り入れているにもかかわらず、
そういう光景を見たときに、
冷めてしまう自分がいた。
退職日は、早く過ぎ去って欲しいと思って過ごした。
お別れの言葉も挨拶も嫌だった。
その日、廊下ですれ違ったあまり親しくしていなかった同僚に
抱きしめられ、背中をさすられ労いの言葉をかけられた。
同じことを違う場面でまたする人がいた。
いつもの私だったらすご〜く冷めてた場面なのに温かく受け止められた。
生田斗真がタッキーの肩を後ろから軽く叩いて労う笑顔を見てその時の光景をフッと思い出した。
ああいうことが意識せずに?できる人って
辛いことや苦しいことを乗り越えて、気恥ずかしい感じがなくなった人なんじゃないかっておもった。
私が冷めてしまっていたのは周りにどう見られるかを1番に考えていたからだ。
特にとてもファンってわけでもなかったけど、ほんの一瞬のあの場面が印象的だった。