りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

寄り添う

仕事をしている時、

勉強会に行っても、

呑んで熱く語るときも

 

寄り添う医療を考えよう

 

 

みたいなのがテーマだった。

 

指導も必要だけど、がん医療には寄り添うことが大切だと。

 

医療者はなぜか、自分がとても偉くなったと思いがちで、目上の人に上から目線で指導することが多い。

 

 

勉強会で

 

寄り添う

って言葉が使われるたびに

 

 

またか

 

と思っていた。

 

 

 

 

今日、息子を整骨院に連れて行った。

 

足が痛いというから。

 

成長痛かとおもいきや、

走り方に癖がついていて足への負担が大きくなってるらしい。

 

整骨院に行くまで

色々あった。

 

普通に歩いてるのに、

走ると痛いという。

 

メンタルじゃないか。

走りたくない口実ではないか。

じゃあ、なぜ、歩けてるんだ。

腫れてないじゃないか。

 

私も夫も子供の痛みに全く寄り添わなかった。

 

根性ない、メンタル弱いと突き放していた。

 

 

整骨院の先生が、

走り方を見てないのに、

こんな風に走ってるから負担が来ていて痛みが出ていると教えてくれた。

 

そして、走り方を治さないと痛みは変わらない。

一緒に走り方を治そう!と息子に声をかけた。

 

息子がうっすら、涙ぐんだ。

息子が涙ぐむまで自分のやってきたことや、

息子への自分の態度に気づかなかった。

 

息子に全く寄り添ってなかった。

 

 

一緒に直していこう!

 

この言葉に息子は救われたんだとわかった。

 

 

寄り添うことが大切だとわかっていてもそれが、毎日のことだと、大切なことが当たり前だとわかっていてもできなくなってしまう。

 

整骨院の先生は、毎日のことなのに、そんな姿勢を崩さないでいる。

 

 

先生の仕事への姿勢に尊敬。

 

 

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