りんごごりららっきょう

思っていること、昔の思い出

エビデンス

最近、コロナ渦でテレビでも「エビデンス」という言葉が当たり前ににでている。

10年前の抗がん剤の資格を取った時。

エビデンスという言葉を会話の中に入れている同僚がすごくかっこよく映った。

エビデンスが「科学的根拠」という意味だと知り

 

先輩から

私たちの言動には責任を持ったほうが良い。入院中の配茶がほうじ茶だったのだが、ほうじ茶だったらがんに効くのかもしれない。そう思う患者もいるかもしれない

という話になった。

 

治療方針を決定するときの面談で

エビデンスにないものを患者や家族が「これは続けていいですか?」と質問してくることがあった。

主治医には言えない、だけど、知りたいという思いからこちらに確認するのだ。

医師によってはそういうモノを希望するならそちらでどうぞと突き放す人もいた。

新聞の広告欄も「これでがんが消えた! 予後3か月と言われた患者が奇跡の生還!」などの見出しをよく見る。

 

そういう時、保険適応になっている治療と、こういうものとの違いなどを説明していた。

そして、すごく冷めた目でそういう「藁をもすがる」思いの患者をみていた。

高額のお金を払って効くかどうかわからないものに手を出すくらいなら、高級旅館に泊まっておいしいものを食べさせてあげられるのに。

 

今母が病気となり、

藁をもすがりたい気持ちを噛み締めている

 

f:id:isogaba:20210930210433j:image

 

母の得意料理。栗の渋皮煮

今年も味わえました。